アメリカで働いた経験 ~電話会社編~

前回ちらりと仕事のことを書きました。
恐らく海外に出て働きたいと思っている方が山といらっしゃると思いますので、
今日はアメリカで働いた経験を書いてみたいと思います。
こんな感じなんだ、とかこんな可能性があるんだと感じて頂ければ幸いです。

my room

もともとわたしは東京の(今は上場して結構立派な会社になったようですが)
小さなソフトハウスでプログラマーをしていました。
当時は第一ITバブルの真っただ中でしたので、今ではあり得ないかも知れませんが、
職務経験やITの知識がなくても結構仕事がありました。

かれこれ12年前にアメリカにやってきたときも、そういうわけで同じ業界のお仕事に就く事になりました。
当時いたところは小さな街で、正直申し上げて恐らくプログラマーになるような人材が少なかった(!)のだと思います。
割と簡単に地元の電話会社でお仕事頂けました。

その街には日本人がわたしだけしかいなかったので、最初皆もの珍しかったと思います。
「日本にインターネットはあるのか」とか「日本はフォークで食べる事なんてあるのか」なんていう質問を真顔で聞かれた記憶があります。
(今でもそうかも知れませんが)当時日本はアメリカと韓国に並んでインターネット大国でしたので、
インターネットがあるのか?の質問にはちょっと戸惑いました。

その会社に務め始めて一番最初に出た会議というのを今でもよく覚えています。
20人ぐらい各部の部長さんが集まった中に何故か平のわたしが混ざっており、
会社の在庫管理のシステムの開発の会議をすることになりました。

ベンダーさんが来てプレゼンのようなことをしたのですが、結論から言うと、
この人は1千万円ぐらいもってシステムを完成させることなく逃げてしまいました!
後から分かったことなのですが、このシステムを作る構想は15年前から社内にあったそうです。
最初嘘だろうと思ったのですが、本当にかなり長い間新しいシステムを作ろうとしては失敗し、を繰り返していたそうです。
ですので挙げ句にこのベンダーにボラレて皆さん果たしてどうしたものかと困っていました。

わたしは端でそれを観ていて思ったことがありました。
それは皆さんプログラマーが悪い、システムが悪い、テクノロジーが悪い!と怒っていたのですが、
わたしにはどう考えても社内のアプローチに問題があるように思えたのです。
例えば各部署のニーズはバラバラなのにそれを取りまとめて仕様を書く人がいません。
もし外部からベンダーを雇ったとしてもその人を管理する人もいません。
結局プロジェクトを成功させるためのストラクチャーが社内になかったのです。
そこでわたしは自分の上司のところへ行きある提案をしました。

「わたしにシステム作らせて下さい」

すると良いわよと(笑)簡単に了承してもらえました。
ちなみにこの上司とは今でも大親友で毎年お互い住んでいる州を行き来して、ハーフマラソンを一緒に走ったりしています。

そういうわけで平社員のわたしが突如会社の重要なプロジェクトをまかされることになったのです。

でもプロジェクトをしないファンクショナル会社(社員が部長に報告する体制)では色々軋轢がありました。
例えば各部の部長さんは今まで自分の上司にレポートすればよかったのが、
なんか日本から来た得体の知れない若僧にも報告しなければいけなくなってしまったのです。
上司が一人増えた、みたいな感じです。これを良く思わない人がいて最初は大変でした。

この問題を解決するためにわたしは今度は会社のCEOに直々にお願いをしました。

「プロジェクトチャーターを出して下さい」

プロジェクトチャーターとはハイレベルのプロジェクトドキュメントで、誰がプロジェクトの指揮をするとか、
いわば重要事項をまとめた宣誓書みたいなものです。

するとしばらくしてCEOから社員全員に社内メールが回ってきました。内容は
「えり(わたし)の言う事ききなさい。何でも彼女の指示通りやりなさい。」
というものでした。この会社でこのようなプロジェクトチャーターが出されたのは恐らく前にも先にもなかった異例中の異例の出来事と思います。
今考えるとなんて大胆なことをする小娘だったのだと思いますが、当時はとにかくプロジェクトを成功させたくて必死でした。

数ヶ月、色々苦労もありましたが、システムが完成し会社全域で使い始めました。
社員トレーニングなどにも担当し、社内の殆ど全員と関われる素晴らしい機会に恵まれました。
この会社、市内にオフィスビルが3カ所あり、市外にもサテライトオフィスがいくつかあったのですが、
4年後にわたしがこの会社を退職する時に、お別れパーティーに出たいと、
わたしがいたビル以外の社員から多数人事に問い合わせがあったそうです。
普通ビルが違うと殆ど関わりなく終わって行くのですが、
このプロジェクトのお陰で本当に色々な素晴らしい人たちと仕事が出来て良い経験になりました。

このプロジェクトがきっかけで後にわたしはプログラマーからプロジェクトマネージャーに転身することになるのでした。

続く

Year of 1994 Eri